課税について考える
「リバタリアニズム」
個人は独立していて、尊重されるべきで、自由である
リバタリアン的政府は
1.干渉主義的立法の否定
(シートベルトを閉めなさい、と強要するのはダメ。閉めるか否かを決めるのは自分)
2.道徳的立法の否定
(道徳の推進によってホモを法で禁じるのはダメ。誰にも迷惑かけないし)
3.富者から貧者への所得の再分配の否定
(そのための課税や政策はダメ。富者からお金を盗むに等しい)
たとえば
アメリカ一裕福な金持ち、ビルゲイツの年収は400億ドル。
これだけ大金持ちなら、課税するべき?
教育のために寄付すべき?
功利主義の者ならば、
すぐに再分配しなさい。貧困層の社会福祉に貢献できるのだから
と、言うだろう。
リバタリアンならば
他人の権利を侵さず、取得・転移の正義を満たせばいいが、
侵すようならば再分配は強制となり、行われてはならない
と、言うだろう。
私はリバタリアンに賛成。
だって、自分で稼いだお金だもの。
そのお金をどうするか、他人に決められる筋合いはない。
自分は寄付したいと思えばするし、誰かに奢りたいと思えばそうする。
分配が自らの自由な意思決定によって成されるのなら、
それは許される。
でも、貧しい者のために、という理由で
強制的に奪われる、つまり課税されるのはイヤだ。
自分で稼いだお金は、
それに見合う対価として何かしら社会に貢献した証である。
リバタリアン曰く、
課税=所得の取り上げ
つまり、国家が労働を強制するのと同じ。
強制労働=奴隷
これは自己所有「自分を所有するのは自分だ」の侵害である。
だから、認められない。
貧しい人のためだとしても、課税は認められない。
うん、論理的!
でも・・・・・・
本当に「自分は自分を所有しているのろうか?」
演繹法的反論ね(笑)
うーん
マイケル教授、これは考えさせられますねー。
長くなりそうだから、また後日。
幸せ
「好き」を再認識。
彼の初任給で、超美味しいランチを御馳走してもらった。
幸せーーー★
この味ずっと忘れない!
プレゼントしたいって言ってくれたけど、
モノより気持ちが嬉しい。
プライスレース!
なんていうか、一緒にいるだけで幸せって
新境地よね!!
家族とはまたちょっと違う感じ。
なんだろね。
離れる時の寂しさはハンパない。
これが感情。
気持ちがもやもやする感じ。
胸の中に、
ホルモン的な何かがざわわぁ~~~って蠢めく。
人の気持ちって、一体どうなってるの!?!?
論文ないのかなー調べてみよ!笑
来週は私が横浜へ行く。
待ち遠しい!
正
育つ環境は、その人に大きな影響を与える。
力の強さが一番、そう教えられてきたものならば、
それが絶対的な正義となりえるのだろう。
平気で人を殺すことを正義としている者を
どう咎められよう。
一体何が正義なのか。
何が正しいのか。
理解者
舞研の心を許せる友達とデート。
その子のオーラは、とってもスピリチュアル。
彼女のような女性になりたい、とよく思う。
「自分の能力以上に、
周りからスゴい・魅力的・ステキって思われることが
しんどくなったりしない?」
ってね。
そんなこと初めて言われた。
けど、
まさにその通りで
その期待に応えなきゃって思ったり
自分は大した人間じゃないよって、皆の前で卑下したりする。
よくする。
素の自分を見てくれてるんだなーって
ほっとした。
人の心を敏感に捉える彼女。
エスパーか(笑)
アイデンティティ
例えば・・・
マイノリティに属する人は、マジョリティが差別ないし壁を作ることで、
自分が「マイノリティ」だと自覚する。
自分の考えがたとえ間違いだったとしても、
皆がその道を進めば安心する。
自分たちは仲間だと感じる。
自分の行動や価値観を、他人と比較する。
周りの人がいてこその自分。
コレは「支えられてる」っていう意味じゃなくてね。
もしも、この世に自分1人しか存在しないのだとしたら、
きっと自分のことを考えることはしないだろう。
アイデンティティなどなかっただろう。