おばあちゃん
12月22日。
おばあちゃんが死んだ。
共働きの親に代わって、私の面倒をよく見てくれた、大好きなおばあちゃん。
小学校の時、漢字をいっぱい書かされた。おかげで綺麗な字だねって褒められるようになりました。
沢山釣りに行った。私とおばあちゃんは、パパが準備した釣竿を振って、魚がかかったら釣り上げるだけだったよね。
節約は大事だよって、口が酸っぱくなるまで教えてくれた。ケチンボな私になりました。
学校から帰っては、宿題をしようねと言われ、終わったらご褒美にドボンやソリティアや占いをしてくれた。負けたら泣きじゃくる私を、よくなぐさめてくれた。
おばあちゃんが育てた植物を、おばあちゃんがいない時によく枯らしてしまったけど、翌年にはまた綺麗に咲かせてたね。その後、また枯らしちゃうんだけど笑
よく頼まれて白髪抜いたり、背中をガシガシ掻いたり、目薬をいれたりした。今思うと、髪が薄くなったのは私のせいかもしれない。
受験勉強中、うつらうつら眠っていたら、おばあちゃんが外からカナブン捕まえてきて私の部屋に放ったよね。あれは正直ひどかった笑
宝塚が大好きで、いっつも安寿ミラの話ばかり。ショーを初めて見た日から、宝石箱をひっくり返したみたい!ってすごく喜んでたね。
大阪の家に行ったら、ご飯食べていきなさいって言って、お腹がいっぱいなのに若いんだからもっと食べ食べってご飯をよそわれて。帰りがけにはリポビタンやみかん、おにぎりやゆで卵、そして必ずお小遣い持たせてくれたね。
イトーヨーカドーに買い物に行く時は、必ず上の階でプリンパフェやカキ氷を食べて、謎のイコシに寄って帰ったね。
買い物に行った時は、ビニール袋を山ほどとって、新聞のチラシは畳んで箱にして、せっせせっせと一緒に作ったっけ。おばあちゃんがいなくなった部屋にはまだ箱が残ってて、それを見たらなんだか辛くなりました。
おじいちゃんとよく喧嘩してたけど、おじいちゃんが入院してからは毎日欠かさずお見舞いにいってたね。先生にダメって言われた たこ焼きやたい焼きやお団子を、一緒にこっそり持っていった。
おばあちゃんが施設に入ってからも、禁止されてた沢山の赤飯やお菓子を持っていって、棚の奥に隠したね。
数え切れないほどの思い出。
おばあちゃん、忘れないよ。
おばあちゃんの携帯を見つけて、開いてみたら、今年の5月に2人で撮った写真が待ち受けになっていた。
施設にいる時の日記をこっそり読んだら、私が来た日は「嬉しかった」と「帰ってしまうのが寂しかった」と必ず書いてあった。
お母さんとあれだけ喧嘩していたけど、やっぱり嬉しかったと感謝と寂しいが書かれていた。
おばあちゃんは、そういう人だ。
ゴキブリをものともせずバチんと潰す、おばあちゃん。
飛行機と雷と、曲がったことが嫌いなおばあちゃん。
色んな人にすぐ世話を焼く、優しくてちょっぴり頑固なおばあちゃん。
結婚式に何着て行こうかなって楽しみにしてたんだって。
彼にも会ってみたいって言ってたんだって。
年末帰ったらドボンしようねって、数日前に電話で約束したのに。
結婚式に絶対来てくれるって言ってたのに。約束したのに。
おばあちゃんの安らかに眠った顔を見たら、涙が止まらなくて、久しぶりに声をあげて、子どもみたいに泣きじゃくった。
棺桶には、おじいちゃんが亡くなってから仇のように着ていたジャケット、大好きな宝塚のパンフレットに茶粥とみかん、向こうに行ってからもよく歩けるように杖と、寒くないようにあったかちゃんちゃんこ、お気に入りの帽子と写真と、
最後に向こうに行ってもお金に困らないように千円を入れました。
向こうでおじいちゃんに会えるといいね。ずっと気にかけてた、突然いなくなっちゃったおじさんにも。
浄土真宗は、亡くなったらすぐに極楽浄土に行けるらしいから、きっと今はもう天国だね。
火葬後、しっかり残った喉仏は、綺麗に仏さまの形をしていた。
お母さんはごめんねって何度も言ってたけど、私はありがとうの言葉しか見つからない。
これが子どもと孫の違いかな。
おばあちゃん。
沢山遊んでくれてありがとう。
色んなことを教えてくれてありがとう。
ちゃんと叱ってくれてありがとう。
美味しい煮物を作ってくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
聖なる日に、最後の別れを終えました。
おばあちゃんが死んだ。
共働きの親に代わって、私の面倒をよく見てくれた、大好きなおばあちゃん。
小学校の時、漢字をいっぱい書かされた。おかげで綺麗な字だねって褒められるようになりました。
沢山釣りに行った。私とおばあちゃんは、パパが準備した釣竿を振って、魚がかかったら釣り上げるだけだったよね。
節約は大事だよって、口が酸っぱくなるまで教えてくれた。ケチンボな私になりました。
学校から帰っては、宿題をしようねと言われ、終わったらご褒美にドボンやソリティアや占いをしてくれた。負けたら泣きじゃくる私を、よくなぐさめてくれた。
おばあちゃんが育てた植物を、おばあちゃんがいない時によく枯らしてしまったけど、翌年にはまた綺麗に咲かせてたね。その後、また枯らしちゃうんだけど笑
よく頼まれて白髪抜いたり、背中をガシガシ掻いたり、目薬をいれたりした。今思うと、髪が薄くなったのは私のせいかもしれない。
受験勉強中、うつらうつら眠っていたら、おばあちゃんが外からカナブン捕まえてきて私の部屋に放ったよね。あれは正直ひどかった笑
宝塚が大好きで、いっつも安寿ミラの話ばかり。ショーを初めて見た日から、宝石箱をひっくり返したみたい!ってすごく喜んでたね。
大阪の家に行ったら、ご飯食べていきなさいって言って、お腹がいっぱいなのに若いんだからもっと食べ食べってご飯をよそわれて。帰りがけにはリポビタンやみかん、おにぎりやゆで卵、そして必ずお小遣い持たせてくれたね。
イトーヨーカドーに買い物に行く時は、必ず上の階でプリンパフェやカキ氷を食べて、謎のイコシに寄って帰ったね。
買い物に行った時は、ビニール袋を山ほどとって、新聞のチラシは畳んで箱にして、せっせせっせと一緒に作ったっけ。おばあちゃんがいなくなった部屋にはまだ箱が残ってて、それを見たらなんだか辛くなりました。
おじいちゃんとよく喧嘩してたけど、おじいちゃんが入院してからは毎日欠かさずお見舞いにいってたね。先生にダメって言われた たこ焼きやたい焼きやお団子を、一緒にこっそり持っていった。
おばあちゃんが施設に入ってからも、禁止されてた沢山の赤飯やお菓子を持っていって、棚の奥に隠したね。
数え切れないほどの思い出。
おばあちゃん、忘れないよ。
おばあちゃんの携帯を見つけて、開いてみたら、今年の5月に2人で撮った写真が待ち受けになっていた。
施設にいる時の日記をこっそり読んだら、私が来た日は「嬉しかった」と「帰ってしまうのが寂しかった」と必ず書いてあった。
お母さんとあれだけ喧嘩していたけど、やっぱり嬉しかったと感謝と寂しいが書かれていた。
おばあちゃんは、そういう人だ。
ゴキブリをものともせずバチんと潰す、おばあちゃん。
飛行機と雷と、曲がったことが嫌いなおばあちゃん。
色んな人にすぐ世話を焼く、優しくてちょっぴり頑固なおばあちゃん。
結婚式に何着て行こうかなって楽しみにしてたんだって。
彼にも会ってみたいって言ってたんだって。
年末帰ったらドボンしようねって、数日前に電話で約束したのに。
結婚式に絶対来てくれるって言ってたのに。約束したのに。
おばあちゃんの安らかに眠った顔を見たら、涙が止まらなくて、久しぶりに声をあげて、子どもみたいに泣きじゃくった。
棺桶には、おじいちゃんが亡くなってから仇のように着ていたジャケット、大好きな宝塚のパンフレットに茶粥とみかん、向こうに行ってからもよく歩けるように杖と、寒くないようにあったかちゃんちゃんこ、お気に入りの帽子と写真と、
最後に向こうに行ってもお金に困らないように千円を入れました。
向こうでおじいちゃんに会えるといいね。ずっと気にかけてた、突然いなくなっちゃったおじさんにも。
浄土真宗は、亡くなったらすぐに極楽浄土に行けるらしいから、きっと今はもう天国だね。
火葬後、しっかり残った喉仏は、綺麗に仏さまの形をしていた。
お母さんはごめんねって何度も言ってたけど、私はありがとうの言葉しか見つからない。
これが子どもと孫の違いかな。
おばあちゃん。
沢山遊んでくれてありがとう。
色んなことを教えてくれてありがとう。
ちゃんと叱ってくれてありがとう。
美味しい煮物を作ってくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
聖なる日に、最後の別れを終えました。
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